活動日誌

ここでは、私たちの行った活動の内容をご紹介します。



松原スポーツ公園の航空写真


 Google Earth(グーグルアース)をご存知ですか? 市街地を見ると一軒一軒の家や、自動車、人までも判別できるほどの詳細度で、軌道跡の捜索などにも役立っていましたが、王滝村を見ると、粗い写真となっていて拡大してもボケてしまうだけでした。しかし、最近になって改めて覗いてみたところ、都市部並の詳細な写真に入れ替わっていました。そこで、松原スポーツ公園にスクロールすると保存軌道がハッキリと見えるではありませんか! さっそくキャプチャーした写真に赤線を入れて軌道ルートがハッキリ判るようにしてみました。以下の写真をクリックすると大きなサイズで見ることが出来、800m余りの軌道の全容が良く判ります。


 撮影日は昨年(平成22年)5月5日となっており、管理棟側の機回し線は未成状態となっています。更に西へスクロールして行くと、うぐい川線等の廃線跡もかなりトレースすることができます。国土地理院が公開している古い空中写真と対比しながら机上で廃線跡を探索するのも楽しいのではないでしょうか?

2011年 4月20日 記



3相交流発電機のレストア


 タイタンパー(振動で線路の砂利を突き固める道具)を使いたいので、1年程前から3相交流の発電機を探していましたが、ネットオークションで手に入れた事を「売ります・買います・探しています」のコーナーで既にご報告しました。動作保証なしのジャンクと言う条件でした。

 入手したのはホンダのET3600型で、容量は3.6KVAです。単気筒ガソリンエンジンで、CDI点火となっています。ホンダのホームページによると1978年〜1982年にかけて販売されていた機種で、販売終了後既に26年も経過しているクラシックモデルです。なお、始動はセルモーターとリコイルの両用です。

 松原に持ち込んで、先ずは状態をチェックをしました。30年近く前の製品である割には痛みが少なく、燃料タンク内に錆もありません。きっと大切に使われてきたのでしょう! しかし、メインSWのキーがなく、取り付けられていたバッテリーはかなり古い物のようでした。そこで、先ずはバッテリーの補水と充電です。また、キーがないのでSWごと交換しようと試みましたが、燃料タンクやら色々な物をバラさないとSWが取り外せませんでした。仕方ないのでSWの交換を諦め、キーそのものを作ってしまいました。そんな事をしている間に充電できているかと思ったら、全く充電が効かず思った通りバッテリーは完全にダメでした。仕方ないので手持ちの物を仮に取り付けることにしました。

 出来立ての手作りキーを回して始動を試みましたが、一瞬回っただけでセルが動かなくなってしまいました。代わりに始動グリップ(ロープ)を引いてみましたが、何度引いても圧縮の手応えがありません。引き取った時には圧縮があった筈なのに・・・。レストアには困難が予想されました。

 圧縮がなければ分解するしかない! と言うことで、交換ガスケットを入手できる裏付けもないのにシリンダーヘッドの取り外しにかかりました。幸にしてガスケットに傷を付けずに取り外すことができました。開けてビックリ、このエンジンはサイドバルブでした。(サイドバルブのエンジンを分解したのは初めてでした。)クランキングしながら観察したところ、排気バルブは正常に動作していましたが、吸気バルブが開いたまま固着していました。バルブは手で押すくらいでは閉じず、油を滴下させてテコで押し戻してはクランキングを繰り返すことにより、何とか正常に動作するようになりました。一安心です。

 ヘッドを組み立てて、早速始動を試みますが、圧縮があっても始動しません。今度は電気系統のチェックです。各部をチェックした結果、プラグからは正常に火花が飛んでいます。原因は点火系統ではなく、燃料系統であることが判明しました。

 キャブレターの分解に入りました。フロート室からは何年前のものか判らない腐ったガソリンが出てきて、ものすごい悪臭です。バラバラになったキャブレターの内部には燃料のカスが大量に固着しており、掃除するのが大変でした。そんな分解作業中に樹脂一体成形のフロートの爪(フロートバルブを押し上げる爪)を折ってしまいました。これではオーバーフローしてしまいます。フロートは探すまでもなく入手困難な部品に違いありません。色々考えた末に薄い鉄板(材料は缶コーヒーのスチール缶)で爪を作り、エポキシで接着することで対処することにしました。接着剤の固まるのを待つために、この日の作業は終了です。

 翌朝、接着剤が固まったフロートを取り付け、キャブレターを組み立てて始動を試みましたが、これでも始動しません。トライしている時に、吸気口から直接ガソリンを流し込んでやると一瞬だけ回ることに気がつきました。どうやらジェットが詰まっているようです。

 再びキャブレターを分解し、ジェットの掃除です。手元に細い針がなく荷札の針金を2本、3本と束ねて使いました。各部を組み立て、今度こそ! ロープを力強く引くと、見事にエンジンは甦りました。暖気後にエンジンオイルの交換もしておきました。前日に保留していたセルモーターの修理は後日ということにしましたが、もしかしたら、ただのヒューズ切れかもしれません。

 タイタンパーのプラグと、発電機のコンセントは形状が異なっていました。ホンダのマニュアルで事前に調べたところ、タイタンパーのプラグと、それに適合するコンセントは2〜30年前まで芝浦製作所の標準品(コンセントの型番は1203−B)だったらしいのですが、今はWebで探しても、秋葉原で探しても流通していませんでした。困り果てて鉄道業界の人に調べてもらったところJRの特注品としてのみ流通しており、プラグが20000円、コンセントが15000円である事が判りました。残念ながら、あまりにも高価なのでタイタンパーのプラグに合ったコンセントに付け替える事は諦めました。
<タイタンパーに付いたJR規格のプラグ(左の写真)と、それに合うJR規格のコンセント(右の写真)>

 ET3600側には250V15A(3P+接地)の標準的なコンセントがついています。また、タイタンパーのプラグは汎用品である250V20A(3P)コンセントに差し込むことが可能である事が判りました。と言うことで、簡単な変換ケーブルを作ることにしました。材料費は、汎用品のコンセントが約500円、プラグが200円、ケーブルを入れても1500〜2000円で済み、JRの特注品を使うのに比べて1/20の費用で済ませてしまいました。
<左写真がET3600のコンセント、右の写真が作成した変換ケーブル>

 だいぶ手こずりましたが、無事タイタンパーを使うことができるようになりました。写真は試し突きの様子です。

 そういえば、右の写真の50Hzと60Hz切り替えスイッチのようなものが付いているのですが、使い方が判りません。どなたかご存知の方はいらっしゃいませんか? (後日、掲示板を通してご教示いただきました。)

2008年 7月13日 記



2007森林鉄道フェスティバルへの道


 「王滝村での行事」のページで、フェスティバルまでの準備活動を順次ご紹介してゆくと報告しましたが、その中でもりんてつ倶楽部としての準備活動は、こちらのページでご紹介させていただきます。

●運材列車の復活運転1(留置線の敷設)

 運材台車のレストア作業を始める必要がありますが、留置しておく場所が足りません。そこで機関庫の川側に新たに側線を設けるためのポイント敷設と、軌道の延長作業を春からから始めました。この側線は機関庫を周回して本線に戻るリバース線の一部とする構想もあります。

●運材列車の復活運転2(運材台車のレストア)

 運材台車のレストア作業も始めています。運材台車はほとんどの部分が鋼製ですが、軸受け上部に木製の部分があり積車で運行するには腐ってボロボロになった木部の交換が必要でした。更に錆落としと塗装作業を進めており、3組の運材台車を準備できそうです。しかし、森林管理署との交渉や、どうやって積み込むのか等のクリアすべき問題も数多く残っています。

 安全のためには貫通ブレーキの整備も不可欠です。各台車のブレーキ調整と、風化したエアホースの交換を進めています。また、運材台車間の中間連結棒が無いと原木を積んで走行することが出来ません。しかし、中間連結棒は盗まれており数が足りません。水交園(滝越)等から運び込み3両分を確保しました。中間連結棒に巻き付けて使う延長用のエアホースも既に失われているので、製作すべく耐圧ホースを手配しています。

●森林鉄道体験試乗会1(本線軌道の延長)

 軌道は昨年までに300mを超え、春から夏にかけては高低の調整と道床の突き固めを行ってきました。そして9月29日には、実行委員会を中心に営林署のOBなど、村民ボランティアによる軌道敷設作業が行われ、さらに、翌週の10月6〜7日にはりんてつ倶楽部や、各地から集まったファンの皆さんも加わり、引き続き作業を行っています。今年度分の目標は100mです。フェスティバルに間に合えば、往復800mの試乗をお楽しみいただけるかも知れません。

●森林鉄道体験試乗会2(関電モーターカーの復活)

 かねてよりレストアを進めてきた元関西電力のモーターカーを仕上げて、旅客輸送に供することが出来るように注力中です。エンジンの始動にも成功し、9月8日に試運転を済ませていますが、シートの取り付けや内装作業が残っています。ご乗車いただけることを100%約束できるものではありませんが、ご期待下さい。

●森林鉄道体験試乗会3(オープン人車の製作)

 軌道が400mに達し、一往復の試乗に要する時間も数倍に延び、機関車の運転席への添乗だけでは大勢のお客様に乗車いただくのは困難になってきました。たまたま、松原への引っ越しの祭に計量器付きの木製運材台車の台枠が崩れ落ち、新たに作り直しをしていました。9月上旬の活動日にこれが完成したことから、仮設のベンチを取り付け特製のオープン客車とすべく準備しています。

●森林鉄道体験試乗会4(No4モーターカー)

 田島を拠点にしていた頃に比べると走行距離が格段に伸び、昨年の秋の公民館祭りでは車両の不具合が多発しました。そこでお客様を乗せることが出来る車両を増やす努力をしています。

 昨秋No4モーターカーの燃料ポンプのダイヤフラムが破れてしまい、燃料漏れを起こし休車状態でした。ダイヤフラムとして使える耐油性の布入りゴムシートが見つからず苦労していましたが、やっと目処が付きフェスティバルに間に合うように修理する予定です。

2007年 9月30日 記
2007年10月 8日 追記
2007年10月13日 追記
2007年10月22日 追記
2007年10月25日 追記
2007年10月30日 完結



平成18年 第七回活動(本線が315mになりました!)


 10月7〜8日にかけて、王滝村のボランティアの方たちと共に軌道延長作業を行いました。もちろん元保線技師の三浦師匠も駆けつけてくれました。これまでの作業で、機関庫前〜水路の手前までの約110mと、水路の先の水路に平行した直線区間が約90mが敷設されています。今回は、この間を結ぶ水路を渡る部分と、直線区間を更に75m延長しました。

 初日は水路を渡る部分を車両が通れるようにする作業と、水路に平行した直線区間の枕木を並べる作業を行いました。

<写真:渡河部分のジンクロ作業とレールの切断作業>


 直線区間の延長作業は、資材を置いている水路を渡る部分から遙か100m遠方での作業なので、資材をを人力で運ぶにはかなり無理があります。初日は軽トラックで対岸を運搬して、水路越しに枕木を搬入しましたが、水路を渡る部分の軌道ができあがった2日目は、132号機と運材台車による資材輸送列車が走りました。この列車の運行は、地元王滝村の方で、元王滝営林署の運転手さんが担当されました。テキパキとした指示と、水を得た魚のように生き生きとしていた表情が印象的でした。結局資材輸送列車は3往復し、約45本(約3.5t)のレールを運搬しました。この日は、レールを並べ要所にスパイキ(犬釘)を打ち、132号機、142号機、4号モーターカーの入線試験で日没時間切れ終了となり関東、中部のメンバーは帰宅の途につきました。

<写真:レールの積込みと輸送列車>


<写真:レール運び、142号機での試運転と、夕刻の機関庫全景>


 残りの作業は来月の文化の日を中心に行われる公民館祭り(村民文化祭)の時に、と思っていたのですが、翌9日にも三浦師匠を始めとする地元の方々が集まり、微調整とバラスト入れを残した状態ではあるものの、スパイキを打ち終え作業を完了させたそうです。

 これで本線の総延長は315m。機関庫の構内線を含めれば400mを超える軌道が出来上がったことになります。公民館祭りではこの軌道を使ってデモ走行が出来るように、師匠を始めとする地元の方々が微調整などを行ってくれる予定です。

<写真:10月9日の夕刻、今年度分として315mの本線が完成した>

2006年10月15日 記



平成18年 第四回活動(留置側線を敷設)

 先月の活動に引き続き7月15〜16日にかけて軌道延長作業を行いました。今回敷設したのは、機関庫北側(川側)の車両留置用側線で、0番線と呼ぶことにしました。先月の作業で1番線から分岐するポイントは既に完成しているので、その先に村の方から提供いただいた間伐材を挽いて作った枕木を並べ、先月まで敷設していた本線用15kgレールよりふた回り細い支線用の9kgレールを敷きました。ポイントの先、レール約5本分(25m)の延伸となりました。
<写真:0番線の敷設作業(バラスト散布は王滝村のタイヤブルが大活躍)>

 この0番線は、当面レストアの予定がないクレーン車などを留置する為のもので、早速、昨年末の引っ越しの際にワイヤーを切断されてブームが下がり、本線上に鎮座したままになっているクレーン車の修理を行いました。何とか修理が済んだクレーン車はブームを45゜位まで持ち上げ、132号機で牽引して、完成直後の0番線へ押し込みました。しかしこの作業中に大きなトラブルが・・・・・。
<写真:重機でブームを持ち上げ、切断されたワイヤーを接続中のクレーン車>

【ジンクロのレストア完了報告】

 先月、成田ゆめ牧場で活動している羅須地人鉄道協会のまきば線から持ち込んだ15kgレール用のジンクロは、壊れていたスラストベアリングの代替え品を用意し、更にローラーなど数個の挽き物部品を製作した事により、無事に元通り組み上がり復活しました。これでジンクロ2台態勢となり、今後の敷設作業も能率良く進められそうです。羅須地人鉄道協会の皆様、本当にありがとうございました。持ち込んだジンクロは30年前に木曽から入手した物だそうです。2台のジンクロは「30年ぶりだね!」と再会を喜んでいるかもしれません!? (ジンクロの捜索は、その後片上鉄道保存会様を始めいくつかのご連絡を頂きました。捜索にご協力下さった皆様、本当にありがとうございました。本報告をもって捜索を終了とします。)
<写真:左は新調した部品と組立前のジンクロ、右はレストア完了後の姿>

2006年8月2日 記



平成18年 第三回活動(本線で試運転!)

 ゴールデンウィークに引き続き6月10〜11日にかけて軌道敷設作業を行いました。今回の作業内容はバラスト入れとレベル出し、ポイント1基増設、ポイントの仕上げ(ダルマや、ガードレールの取り付け)、そして最後はお約束の試運転でした。

 バラストは牧尾ダム堆砂工事の関係で、砂と石が混ざった土砂を大量に利用できることから、王滝村のタイヤブルドーザで搬入し、人海戦術で散布しました。そして、レベル出しとビーター突きを2日間にわたって敢行しました。苦労の甲斐あって、2日目の夕方には本線を含めた全線で何とか試運転が出来るレベルに達しました。仕上げには砕石を入れ、見た目にも拘りたいところです。  <写真:体力勝負のバラスト散布とビーター突き固め作業:AN氏提供>

 ゴールデンウィークの6日間で3基のポイントを作り上げた経験から、今回はほぼ1日でポイント1基を設置することが出来ました。機関庫の川側に側線を1本増設し、貨車などを留置する予定で、その分岐となります。ポイントのガードレールはチョック(基本レールとガードレールを固定するためのスペーサー)が手に入らないことから、溶接止めにしています。
<写真:左は制作中のポイント、右は11日夕方に試運転できるまで突き固めの終わった軌道>

 今回も保線OB三浦幸二さんの指導や、王滝村職員の方を始めとする地元の方々、遠路お越しいただいた鉄道ファンの方々のお手伝いをいただき、みんなで楽しく作業する事が出来ました。おかげさまで11日の夕方には構内から本線に至る試運転を行うことが出来ました。

 なお、多額のカンパをいただいた皆さんには、この場をお借りして改めてお礼申し上げます。
<写真:11日の夕方、試運転に登場した132号機と142号機、感動の瞬間です>



【ジンクロ捜索のご報告】

 ジンクロ(レールを曲げる道具)の捜索を当ホームページにて願いしていましたが、なつかしの尾小屋鉄道を守る会様を始めとして、複数の方々から貸していただけるとの有り難いお話を戴きました。お声をかけていただいた方々には、いざとなったらお願いしますとお返事を差し上げていましたが、1サイズ大きい22kgレール用のジンクロばかりでした。重すぎて作業性が悪い事から、更に15kgレール用の情報を求めていたところ、羅須地人鉄道協会様から錆び付いており、すぐに使える状態ではないが、それでも良ければ貸与しても良いと言う連絡をいただきました。現物をチェックしたところレストア可能と思われたので、今回の活動で松原に運び込みました。補修部品調達にも問題があり、未だ確実に使用可能となる保証はありませんが、大きく前進したことは確かです。羅須地人鉄道協会様、ありがとうございました。なお、羅須地人鉄道協会様の活動拠点である成田ゆめ牧場での顛末はここをご覧下さい。  <写真:左は貸与されレストア中のジンクロ、右は現在使用中のジンクロの製造銘板(メーカーは現存)>

 日本鉄道保存協会のような事業主(管理者)の集まりは既に存在しますが、保存鉄道の実務者ネットワークは未だ存在せず、現状は個人レベルの交流にすぎません。今回のジンクロの件で、このようなネットワーク構築の必要性をますます実感しました。(結果的に私達は助けられる一方になってしまうかもしれませんが・・・。)

2006年6月18日 記



平成18年 第二回活動(軌道敷設開始!)

 前回の活動報告でご報告したように、松原停車場跡に隣接した松原スポーツ公園に新しい機関庫が落成しました。しかし、車両搬入に必要な機関庫前5mしか軌道が敷設されておらず、このままでは格納された車両は走ることすら出来ません。そこで、ゴールデンウィークの4月29日から5月4日まで6日間の合宿を挙行し、新機関庫の3線を1線に統合し、本線に進入するポイントまでを目標として軌道敷設工事を行いました。  <写真:初日朝の作業開始前風景>

 一部の報道にもあるように、昨年の秋から王滝村(役場や有志)の方々を中心とした本線の敷設工事が既に始まっていました。こちらの作業は、2005森林鉄道フェスティバルの収益金、長野県のコモンズ支援金、王滝村教育委員会の呼びかけによる募金等によりレールや枕木等の資材を購入し、王滝村(役場や有志の方)が中心となって敷設を進めています。一方、機関庫から本線に至る機関区内の軌道は、私達りんてつ倶楽部が永年コツコツとストックしてきた資材により、りんてつ倶楽部が中心となって敷設を進めて行きます。これら2つの敷設作業の境界は明確ではありませんが、大きくは上記のフォーメーションで作業を進めることにしています。  <写真:初日朝の本線側敷設作業>

 今回は、これまで15年間の活動の中で一番大がかりな集中工事であり、不慣れな私達だけではとても目標に達することは出来ないと危惧していました。しかし、森林鉄道現役時代に保線を担当されていた、王滝村滝越地区にお住まいの三浦幸二さんの連日に亘る熱心なご指導のおかげで、みるみる工事が進み、ほぼ初期の目的を達成することが出来ました。

 休日を返上してご指導いただいた三浦幸二さん、お手伝いいただいた王滝村の役場の方々、営林諸関係のOBの方々、地元のボランティアの方々、遠路来村した林鉄ファンの方々には深くお礼申し上げます。日頃から仲良くおつき合いいただいている羅須地人鉄道協会の、U.SさんとJ.Aさんも個人的に作業に参加して下さいました。併せて御礼申し上げます。  <写真:初日の敷設開始時と、3日夕方までの進捗>

 最終日の5月4日夕方には、本線に至る3個のポイントと、引き込み線用のポイント1個(フログのみの準備工事)がほぼ敷設完了しました。バラストを入れビーター突きを行い、仮止めの転轍器(ダルマ)を本設置すれば、試運転が出来るレベルに既に達しています。早く本線上を走行できるように今後も注力して行く予定です。  <写真:仮止めのダルマと、最終日夕方の全景(一番手前が本線)>


 ゴールデンウィーク中には瀬戸川線の廃線跡を散策するツアーも開催されたことから、日本全国から多くの林鉄ファンの方々が来村されました。また、地元の新聞でも大きく紹介され、記事を見て作業のことを知ったという方も駆けつけてくれました。以下に、何紙かの紙面を御紹介しておきます。(各紙のロゴをクリックすると記事が見られます。ブラウザのボタンで戻って下さい。)

4月30日朝刊 5月1日朝刊 5月4日朝刊

2006年5月12日 記



平成18年 第一回活動(新機関庫落成!)

 以前から計画はあるものの、なかなか具体化しなかった、疎開先の田島から松原へ復帰する計画が、昨年の初夏頃から急に具体化し始めました。引越作業は大変だな、と思っていたらアッという間に3線機関庫の図面が出来上がり、 2005年9月上旬には基礎工事の為の整地が始まってしまいました。年度予算で事業を行う自治体は年度末(3月末)までに、事業を完了しなければなりません。雪が降り始めると作業が出来なくなる寒冷地の王滝では、実質的な年度末とは12月末である事に気がついていなかったので、進捗の早さに驚いてしまいました。

 工事と並行して設計事務所との手直し打ち合わせなどを経て、10月上旬には基礎の鉄筋を組み始め、11月上旬には上屋の鉄骨の組立が始まりました。 11月下旬には屋根葺きや、ピット工事も完了し、12月中旬には庫内のレール敷設や外壁・内装工事もほぼ完成の域に達しました。そして、寒さも厳しくなり雪が降り始めた12月23日〜24日にかけて車両の輸送が行われました。この様子は、レールマガジンの名取編集長のBlog(2006年3月2日版)でも取り上げられたので御存知の方も多いと思います。

 田島ワークスに保管してあった、道工具や材料なども引越の必要に迫られていたので、12月3日に仮倉庫に搬出しました。軽トラックで延べ10台を上回る資材量と、重量に閉口しながらも、なんとか1日で仮倉庫に搬入を済ますことが出来ました。

 年が明け、雪解け後の4月15日〜16日に2006年度の第一回の活動を行いました。仮倉庫から新松原機関庫(ワークス)への資材輸送と、棚や工具ラック等を作成し、整理しながらの収納作業でした。 初日は午後から雨となり思ったよりはかどりませんでしたが、翌日は暖かな快晴となり、何とか無事に作業を終えることが出来ました。なお、田島ワークスは軌道を含めきれいに撤去され、元の更地に戻っています。

 松原ワークスのレールは車両搬入に必要な機関庫前、5m迄しか敷設されていません。先ずは庫内の3線をポイントで結び本線に接続しなければなりません。今年のゴールデンウィークは、この作業に終始する事になりそうです。この期間、お礼もなければ怪我をした時の保証もなく自己責任でと言う事になりますが、松原にお越しになればタップリと力作業が待っています。宜しかったら遊びにいらして下さい。

 いっぽう、王滝村側は教育委員会を中心に、県からの補助金やファンからの寄付金でレールや枕木を購入し、地元の保線関係のOBを中心に、全国から林鉄ファンを集って保存線の敷設作業を行う計画を進めています。 こちらの作業も2005年11月下旬から始まっており、既に数十mの敷設を終えています。2年後迄には橋梁(木橋or鉄橋?)を含め数百mの軌道を完成させ、2007年秋にお披露目を兼ねて再び森林鉄道フェスティバルを催す計画だそうです。

 軌道敷設には、中古品を使っても材料費だけで100mあたり約100万円の費用がかかります。このために村では募金活動を行っています。詳しくは王滝村のホームページをご覧下さい。いずれは、一般のファンの方を対象に、軌道敷設の体験ボランティアを募集することになると思われます。

 なお、昨年(2005年)に仕上げの段階に入った元関西電力のモーターカーのレストア作業は、上記の騒ぎにより実質的にストップしています。松原が落ち着き次第、再び着手して早期竣工を目指したいと思っています。

2006年4月17日 記



平成17年 第五回〜第六回活動

 昭和50年に滝越へ新製配置された、関西電力所属のモーターカーのレストアが進み、往年の姿がよみがえりつつあります。

 左上の写真は田島ワークスに搬入した直後のもので、黒部峡谷鉄道で保線車No2(架線保守)として改造されたままの姿をしていました。その後、黒部で改造された装備を取り外し、錆で穴のあいた屋根や側板の張り替え、後部ドア周りの新製を経て、下地仕上げの佳境に入ったのが昨年の春のことです(右上写真)。昨年は、残念ながら屋根上の塗装までで終わってしまいました。

 今年の4月の活動で車体全体に錆止め塗装を施した姿(左下写真)を、5月の「2005森林鉄道フェスティバル」でご覧いただきました。その後、6月の第4回活動では、関西電力指定色のオレンジを塗り、中央線のような(中下写真)姿となりました。

 7月の第5回活動では、半日かけてマスキングを施し、関電指定のこげ茶色を吹き付けました。梅雨時と言うことで塗装中に雨が降り出すなどのトラブルもありましたが、日曜日の夕方にはマスキングテープを剥がせる程度まで乾燥し、マスキングテープの下から美しい姿(右下写真)が現れました。次回以降で、ヘッドライトなどの部品を取り付け、いよいよ車体関係のレストアが完了する事になります。


 使用した塗料は、滝越に保存中のロータリー除雪車を2001年に再塗装した有志グループである「点灯むし倶楽部」の方々にお願いして、関西電力の指定色ペンキを譲ってもらいました。これは、再塗装時に使い残して「フルセ工業」様にて保管していたものです。「フルセ工業」の社長の御尊父は、関西電力所属の松岡製10t機関車の機関士をされていた方だそうです。

 9月の第6回活動では、関西電力のマークを入れ、灯火類の取り付けを行い、ぐっと鉄道車両らしくなりました。(左写真)しかし、未だ内装やガラス周りの作業が残っており、残念ながら今年中の完成は難しくなってきました。特に、側面のアルミサッシ回りのウェザーストリップ(サッシのレール内側に貼る起毛したゴム部品)の捜索に苦労しています。どなたか、この分野に詳しい方がいらしたら是非ご教示下さい。


2005年7月13日 記
2005年9月23日 追記



平成17年 第二回活動

 例年より約2週間早い4月16〜17日に本年度の第二回作業を実施しました。これは来る5月3〜4日に開催する「2005森林鉄道フェスティバル」のイベントの一環で動態保存車両の試乗会を行うことになったのですが、事前打ち合わせの段階で保線関係のOBの方々が盛り上がり、急遽仮設線路を延長する事が決まったからです。

 実行委員会では落葉松の間伐材を利用した枕木を用意し、地元のOBの方々に呼びかけを行い有志を募りました。りんてつ倶楽部も、ストックしてあった15kgレールやスパイキ(犬釘)、ペーシ(継ぎ目板)を供出し、モール(止めボルト)を新たに手配しました。地元の年寄りだけに任すわけには行かないと、いつもより大勢が押しかけましたが、足手まといになっただけかもしれません。



 作業当日である16日の朝、私たちが田島停車場跡に到着すると、十数人の地元のOBや実行委員会の方々が集まっており、既に枕木を並べ終わっていました。早速レールの運び出し等の作業が始まりましたが、私たちは終始あおられっぱなしでした。スパイキ(犬釘)打ちにしても、私たちはドリルで下穴をあけた上で10発以上打ち込むのですが、地元のリーダーの方は下穴なしで3発で打ち込んでしまいます。打ち損なうことなど皆無でした。

 驚くべきスピードで作業は進み、あっという間に50mの仮設軌道が敷き終わりました。ちょっと目には作業軌道のような雰囲気が漂います。通りや、レベルの調整後に132号機で地固め試運転、再調整を経て午後3時過ぎには作業は完了し、御神酒でお祝いの後に解散となりました。ほんの朝飯前と言った感じでした。本物の作業軌道も、こんな感じで1日に何十mも延びていったのでしょうね。軌道は元々60m程敷設してありましたが、機関庫等のスペースの関係で40m程しか走る事が出来なかったので、2倍以上の距離を走ることが出来るようになりました。作業中は長野日報信濃毎日が取材に来られ、翌日の記事になったようです。Web版のURLを以下に示します。


http://www.nagano-np.co.jp/cgi-bin/kijihyouji.cgi?ida=200504&idb=206
http://www.shinmai.co.jp/news/20050417/KT050416ZZI000005000022.htm

 予想以上に作業が早く終わったので、翌17日は以前から進行中だった関西電力モーターカーの錆止め塗装を行いました。パテや溶接の跡で汚かったモーターカーは、グレー一色となり、美しい姿を現しました。何とか今年中には完成させたいと思っています。

2005年4月19日 記



平成16年 第四回活動

 「王滝村の放置車両」コーナーでも紹介しましたが、王滝本線の終点である本谷停車場から更に奥地にあった本谷第二製品事業所前に放置されていた2両のタンク車は有名な存在です。(ここをクリックすると昭和52年撮影の国土交通省の航空写真が見られます。拡大すると本谷第二製品事業所がはっきり判ります。)恐らく発電機か何かのための燃料タンクとして使われていたものと思われますが、廃止以降30年近く経った現在も置き去りにされたままでした。このまま朽ち果てるのを見ているのは忍びなく、木曽森林管理署・王滝事務所に交渉し、りんてつ倶楽部で譲り受けることになりました。(交渉は、昔王滝営林署で機関車の運転をされていた三浦孝之さんにお願いしました。)

 輸送は平成16年7月10日に行いました。中津川のレンタカー屋で借りたユニック付き3tトラックに乗って田島ワークスを午前中に出発した輸送メンバーは、滝越から林道を登り御岳林道経由で本谷へ向かいましたが、悪天候も重なり本谷第二製品事業所に到着したのは13時を過ぎてしまいました。タンク内には未だ油が残っているようで相当重かったのと、悪天候の影響で積み込みにタップリ2時間かかってしまい、本谷を出発したのは15時を過ぎていました。帰りは安定しない積み荷のせいで更にペースダウンし、2時間以上かかって田島到着は17時を過ぎていました。さっそく荷下ろしを行い、2両のタンク車は約30年ぶりに他の車両達と再会を果たしました。(私どもで保存している酒井工作所製5t機関車132号機は、助六に配置される前の昭和50年頃まで、本谷に配置されており本谷〜麦島の支線で働いていました。この2両のタンク車も132号機に牽かれて、本谷第二製品事業所に置いていかれたのかも知れません。)今後はペンキの塗り直しなど新たな作業が発生しますが、末永く大切に保存して行きたいと思います。

 なお、この日の午後、遠路はるばるお客さんがいらしたのですが、この輸送作業が遅れたために会うことが出来ませんでした。待っていて下さった方には、この場をお借りしてお詫び申し上げます。

2004年7月31日 記



平成16年 第一回活動

 去る4月24日から25日にかけて平成16年の第一回活動を行いました。朝、田島ワークスに到着したら何か雰囲気が違っています。な、な、何とタンク車などが留置されていた修理工場の向かいにあった、ワイヤーの保管庫として使われていた建屋が取り壊されて跡形もないのです。元停車場の構内に大量に放置されていた古タイヤも撤去されていました。保管庫の下から現れたコンクリートのたたきの床にはしっかりとレールが埋め込まれていました。おかげで見通しが良くなり対岸の県道からも田島ワークスが良く見えるようになり、通りがかりに立ち寄られる方が増えました。元「王滝営林署」、現在の「木曽森林管理署王滝事務所」は本年の4月30日付けで閉所する事から、式典が行われたと報道されています。この関係か、元営林署関係の施設が次々に整理されているようで寂しさを禁じ得ません。

 私たちの常宿は昭和40年代後半から泊まり続けている滝越の民宿ですが、ここでも残念なことがありました。有名な滝越デパートこと平沢商店がついに閉店してしまったのです。体を壊したので近いうちに店を閉めると聞いていたので覚悟はしていたのですが、とても残念です。滝越は人口たった16人の地域ですが、商店のまったくない地域になってしまいました。生活物資の買出しにも事欠くようで、毎週火曜日に移動販売が来るようになったそうです。私は30年程前に、この店で銀河書房の「木曽の森林鉄道」を買い求めました。

 永年のお付き合いから王滝村には大勢の知り合いがいます。買物の度、道ですれ違う度に挨拶する機会が多いのですが、今回はいたるところで「あれ、今週来ているの? 再来週の5月8〜9日だと思った。」と言われました。そう、私たちが公民館祭りで展示したレイアウトと、KMCこと木曽モジュール倶楽部のレイアウトを勘違いしているのです。このホームページを見ている方々には分かりきったことですが、村民の方には都会から来ている林鉄のファンで、同じ「倶楽部」が付くので区別がつかないようです。これにはちょっと戸惑いました。平成12年に、ある人から私たちの保存活動に対して嫌がらせを受けたことがあり、その後も無礼な態度をとり続けられたことから、その人の事を良く思わなくなりました。その人がKMCのメンバーとなった事から、ちょっとわだかまりがあるのです。他の何人かのKMCメンバーの方々とはお会いしたことがありますが、皆さんのお人柄は好感の持てる方ばかりです。と言うことで、村民の方々には私たちとは全く別のグループであることを良く説明すると共に、レイアウトはとても良く出来ており一見の価値がありますよ! と宣伝しておきました。私たちのグループにも鉄道模型を楽しむ者が多く、KMCの活動と素晴らしいレイアウトには羨望に近いものもあり複雑な気持ちです。実は私もKMCのレイアウトを拝見したことがなく、是非見てみたいと思っています。(2005年4月に関係を修復し、現在は和解しています。ご心配をおかけしました。2005/7)

 さて本題のレストア活動ですが、関西電力のモーターカー(一部の人は「新快速」と呼んでいるようです。)の車体修復が進んできました。今年度中には塗装が出来るように注力していきます。いっぽう、当初想像していたよりエンジンのダメージが大きく苦戦している84号機の復活への道のりは険しそうですが、今回も復活に向けた若干の進展がありました。現地ではエンジンを降ろして整備できないのが最大の難点です。また、代替エンジンや部品の供給もままなりません。どなたか日野DS−70のガスケットセットを入手できないでしょうか?

2004年4月26日 記



転轍機の敷設

 2000年から田島停車場跡地に活動拠点が移りましたが、これを機会に線路が2本平行に敷設されました。動態車両用の全長約60mの本線と、静態車両を留置する約15mの展示線です。これは限られた敷地の中で、なるべくたくさんの距離を走行させたかったからです。しかし、平行な2本の線路があればポイントで結びたくなるのが人情です。私たちはさっそくポイント敷設に着手しました。ここでは、2001年〜2002年にかけてポイントを敷設した記録をご紹介します。


2001年5月3日

 ポイントを設置するための準備として、レールの在庫チェックをしました。岐阜県の大滝鍾乳洞から入手した6番ポイントを使うつもりでしたが、部品が揃っていない事が判明したので、急遽、伊豆の清越金山から入手した3番ポイントを使うこととし、資材置き場から田島まで運び出しました。また、線路延長に枕木が必要になることから、堆砂で埋まる松原スポーツ公園に放置されているJRの古枕木を集め、田島に輸送しました。




2001年8月11日

 清越金山のポイントはフランジウェイに粘土質の泥と小石が付着(固着)している事から、流水による軟化洗浄と、ハンマーとバールによる物理的な除去を行いました。長年フランジ等に踏み固められていたせいかコンクリートのように固く、1日仕事になってしまいました。
 また、このポイントはもともと508mmゲージ用なので、762mm用に転用するためにフログレール(クロスの部分)とトングレール(可動部)の間のリードレールを長い物に交換しました。



2001年8月25〜26日

 組み上がったフログレールとトングレールを本線上に重ね合わせて、枕木の位置や本数の見当をつけた上で、分岐(曲線)側の基本レールを、現物合わせでジンクロ(レールベンダー)で曲げ、本線に組み込みました。トングレール自体が元々真っ直ぐなので、急にカクッと曲がるポイントになりそうなのが気になるところです。その後、直線部分だけでも走行可能にするため、スパイキ(犬釘)でレールを仮固定しました。ポイントは後々入れ替え運転が楽しめるように、機関車2両が引き上げられる位置としました。




2001年11月3〜4日

 急にカクッと曲がるポイントを修正しようと思い、分岐側トングレールをジンクロで曲げようとしたら突然折れてしまいました。大ショックです! 3番ポイントのトングレールには予備がなく仕方がないので、急遽穴を開けてペーシ(継ぎ目板)とモール(ボルトナット)で繋ぎました。結局カクッと曲がる件の修正はあきらめです。
 展示線につながる分岐側の基本レールは、トングレールなどのカーブに合わせて、現物合わせでジンクロで曲げました。また、展示線側からは5mの直線レール2本を延長し、ポイントの近くで現物合わせで曲げてポイントと接続しました。  時間的な限界もあり、延長部分の路盤を突き堅めや水平を出す作業は、全て次回以降に先送りにしました。また、スパイキも手抜きをして、枕木1本おきにしか打たずに済ませました。
 左右のトングレールを結ぶロッドは、手持ちの762mmゲージ用に交換しました。なお、ストロークが合わなかったので、アジャスターボルトで目一杯長くして使用しています。ダルマ(転換てこ)とロッドの高さが大きく違っていたので、現物合わせでダルマ側のロッドを曲げて吸収しました。
 日没直前に一連の作業が終わり、試運転を行いました。いくつかの作業を先送りしたので軸重の重い機関車の入線は無理です。脱線してもすぐに復旧できる運材台車を使いました。初めてポイントを通過できた時には歓声が沸き上がりました。




2002年4月28〜29日

 本線と展示線の複線間隔が狭く、そのままでは機関庫にぶつかってしまい延長ができないので、展示線を山側に移動する作業に着手しました。先ずは前回仮敷設を済ませたポイントを使って、展示線に留置されている車両を全て本線に移動しました。
 ポイントの分岐側と、本線に平行にもどす返しの曲線に挟まれた直線を、延長することで、複線間隔を拡げました。元の展示線はペーシとモールを全て取り外し、線路をバラバラにして軌匡とし、これを順次移動し再度接続しました。一番長い軌匡は10mもあり、重すぎて人力での移動が不可能だったので、この部分はユニックで吊り上げて移動しました。 また、枕木が不足して困りましたが、展示線を機関庫側に10m延長し、新規搬入車両のための留置スペースを確保しました。
 試しに人を乗せて運材台車を走らせてみたところ、なかなかの状態だったのですが、押した人間が手を放してもそのままのスピードで空走し、あわててハンドブレーキを締めたが間に合わず、機関庫の扉に当たって停止するというハプニングも発生しました。
 展示線が延長され留置スペースが増えたので、数年前に入手し別の場所で保管していたモーターカーを、搬入・入線させました。
 このモーターカーは昭和50年に岩崎レールで製造されたもので、王滝森林鉄道が廃止された後も、関西電力所属の車両として滝越の発電所に併設された車庫に置かれ、滝越〜堰堤(三浦貯水池)間で資材輸送や保線業務に従事していました。その後、林道が整備され不要となったモーターカーは関西電力の関連会社である黒部峡谷鉄道に転籍となり、保線車1号として活躍していました。同鉄道のホームページで保線車として活躍していた頃の写真を見ることができます。そして老朽化し廃車となったモーターカーは私たちに引き取られ、二十数年ぶりに木曽へ里帰りしました。なお、モーターカーは屋根のないところに留置するので、ビニールシートで覆ってあります。


(昭和52年8月の滝越と平成14年5月の田島)


 最後に、展示線への5t機関車132号機の入線試験を強行しました。分岐器内のカーブがきつかったため、レールに散水する事により入線を果たし3〜4往復しました。この様子を見て、前回に引き続き一同歓声をあげました。スラックをどれだけ付けたら良いのか判らないのですが、もっと拡げる必要があるようです。


2002年5月26〜27日

 あらかじめ手配しておいた砂利(5立米)を、ネコ車を使って展示線に散布しました。突き固めを行った結果、展示線は機関庫の前までほぼ水平となり、用意した砂利はほぼ使いきってしまいました。
 また、手元の曲がったレールをジンクロで直して、2本(10m)の延長も行ないました。再奥部分はレールを締結しただけで、スパイキ打ち等を後回しとしましたが、線路は敷地いっぱいのクレーン車真横まで達しました。展示線は当初の状態から30m延長したことになり、全長50m近くになりました。本線と合わせると総延長は約100mです。



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