私達の活動のルーツ

 
2002年4月21日


 
・あるコレクターとの出会い

 私達のグループの発端は、昭和60年(1985年)の1月に遡ります。私達の仲間の一人が当時某研究所に勤めていたのですが、その研究所に本物の機関車や客車を自宅の庭でコレクションしている先輩がいらっしゃることがわかりました。先輩のAさん一人だけでは最低限必要となる補修もままならず、機関車等が雨ざらしになっているので保存・修復を手伝おうと考え、高校時代の鉄研の仲間などを集め修理作業に手を染めたのがすべての発端です。このAさんは「我楽苦多鉄道博物館」の主催者としてその筋では有名で、森林鉄道や軽便鉄道の小型車両を数多くコレクションされている方です。

・最初はペンキ塗りから始まった

 最初は、千葉県にあるAさん宅の庭先で錆の進行を防ぐためにペンキ塗りなどの作業を行っていましたが、Aさん御自身が手配されていた長野県小県郡の別荘地に活動の場所を移しました。

 
レールの調達(元の田島停車場)と枕木の搬入


 機関庫の上屋は大工さんに頼りましたが、王滝営林署に頼み込んでレールの払い下げを受け、桟(かけはし)の製材所から枕木を手に入れ、自分たちの力で線路の敷設を行いました。

 
レールの敷設作業と車両搬入前の機関庫


 その後、車両の搬入、機関庫の増築そして車両のレストアなどが始まりました。

 
木曽森林鉄道C4型10t機関車の搬入


 砂利を30tも購入してしまい、線路の下に敷くのに何年もかかった事などは良い思い出です。


一輪車で散布した30tのバラスト(砂利)


・酒井C4のレストア

 
レストア前はウインチで引き出していた


 車両のレストアは木曽森林鉄道で使用されていた酒井工作所製C4型10t 機関車(営林局形式DBT10型:No134)から始めました。しかし全てが初めての経験であり、どこから手を付けて良いのかも判らないのが実状でした。そこで、かねてからの知り合いであった元上松運輸営林署のB氏をお招きして、氏の指導のもとで修復を行いました。

 


 そして、134号機は昭和50年(1975年)の廃車以来10数年ぶりに自力で走行可能な状態まで復元することができました。エンジンが始動した時の感激は今でも忘れることができません。


 なお、この当時はオーナーのAさんが命名した「ノータリン鐵道会社・麻布支社」を名乗っていました。常宿にしていたペンションの玄関先には、エッチングで作った看板を掲げていました。


・突然の活動中断

 長野県の別荘地では夢中でレストア活動を続けていましたが、平成元年(1989年)オーナーの都合により活動は中断せざるを得ない状況に陥りました。しかし、それまでの5年間の活動を通じて機関車修理に関わる知識の習得や、部品手配先の確保、製作メーカーとの連絡ルートの確立等、保存活動に関する種々のノウハウを蓄積することができました。現在のりんてつ倶楽部は、この当時常連化したメンバーが中心となって発足しました。


別荘地での活動末期の風景


・廃車体探し

 私達はこれまでの活動で、この1/1スケールの鉄道模型の虜になってしまいました。別荘地での活動が終了した後は「なんとかして自分達も車両を手に入れ、活動を再開したい」と話し合っていました。しかし、既にこの当時でも森林鉄道で活躍した酒井や加藤の小型機関車は、正式に保存されている物以外、殆ど残っていませんでした。

 
立山砂防軌道の北陸と利根川河川工事の加藤


 
宮峠と濁河温泉の協三


 
酒井の5t機とフリクションドライブの加藤3t


 
アメリカネバダ州で見つけた亀の子と眺望山の協三


 
金木町大東が丘の酒井5t
(後日、正式に保存されることになり復元のお手伝いもしました)


・王滝村との出会い

 他方、せっかく身に付けたノウハウを生かした活動を続けたいので、車両の捜索と並行して活動の本拠地を探し続けていました。ちょうどこの頃、廃止後十数年経った木曽森林鉄道・王滝本線の松原駅に近いスポーツ公園に保存されていた5t機関車(酒井工作所製のA型)の傷みが激しかったので、これらの車両の整備を我々の手で行いたい旨を、管理者である王滝村の教育委員会に平成2年(1990年)に申し入れ、賛同をいただけた事が現在の活動場所を得たきっかけとなったのです。翌平成3年(1991年)から保存活動が本格的に始まりました。

 



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